2025年2月21日金曜日

The Lost Leonardo

サルバトール ムンディ

久しぶりにワクワクしてみた映画。
『 The Lost Leonardo 』
レオナルド ダヴィンチ の「サルバトール ムンディ(救世主)」についてのドキュメンタリー映画。映画のblog本当に久しぶりです。

2021年にデンマークとフランスが制作。

監督は、1979年デンマーク、コペンハーゲン生まれの 
Andreas Koefoed アンドレアス コエフォエド。


舌がもつれるよ、笑。デンマークはバイキングなんだよね。

ソニー ピクチャーズ クラシックス が配給。Sonyは映画産業が成功したんだね。



私は レオナルド ダヴィンチ のファンであるが、(ディカプリオじゃないよ)

この映画の「サルバトール ムンディ(救世主)」なる絵を知らなかった。

New York の美術商が1,175ドルで入手した絵が、NYの クリスティ オークション 現代美術部門(訳ありそう) で4億5,000万ドル(現行最高価格らしい)で落札された絵を、美術関係者が登場してあれこれ解説していく。

この絵の修復を依頼された、修復の権威 Dianne Dwyer Modestini が時間をかけ入念に修復し、レオナルドの作品と認定したことから、レオナルド ダヴィンチ の「サルバトール ムンディ(救世主)」誕生。そりゃ大騒ぎになります。

この映画を観た夜、私はさっそく 『The World of Leonardo 』著者ロバート ウォレス という持っていたカタログを出して確認した。

このカタログは、タイムライフ インターナショナル が発行した美術全集の一つである。私はこのカタログを東京神田の古書店で手に入れた。小宮山書店のラベルが貼ったままで確認できる。かなり古い話です、笑。

とにかく素晴らしいレオナルド ダヴィンチの資料で、夢中になって貪り読んだことを思い出す。日本語翻訳は摩寿意善郎氏です。著者ロバート ウォレスはタイム社の有名なスタッフライターとある。本書のためにヨーロッパ、アメリカの美術館や図書館で1年間、集中的に研究したらしい。

タイム社はかつてUSAにあったすごく有名な出版社です。『タイム』『ライフ』は多くの芸術家を取り上げていた。特に『タイム』は時の人的な。

ロバート ウォレス氏の Leonardo を確認して、私なりの「サルバトール ムンディ(救世主)」を検証してみたいと思った。

レオナルドは、残された資料からかなりの美丈夫。ヴェロッキオ作のダビデ像は21才頃のレオナルドらしい。教養豊かで優雅な美少年といったところ。


ヴェロッキオのダビデ像


Leonardo da Vinci

レオナルドは1452年にフィレンチェ共和国ヴィンチ村に生まれ、1519年フランス国アンボワーズで没した。

10代でヴェロッキオの弟子になり、1472年ごろに師ヴェロッキオとの共作で受胎告知を制作している。

受胎告知


1478年ごろから独立し、この頃、修道院から依頼されて、『マギの礼拝』を描いている。

マギの礼拝


1482年からミラノのロドヴィコ スフォルツァ家に軍事技師として招かれている。

『岩窟の聖母』『最後の晩餐』はこの頃描かれたもの。

岩窟の聖母


最後の晩餐


1490年に、レオナルド(38才)がミラノに所有していたワイン畑で働いていた
サライ(10才)と出会いレオナルドが死去する直前(1518年)まで生涯を共にした。

Gian Giacomo Caprotti は 小さな小悪魔=サライと、多分レオナルドが名付けたと思う。レオナルドはサライを「盗人、嘘吐き、強情、大食漢」と表現するが、彼の美貌をこよなく愛したのであろう。

レオナルドが描いたサライ 右


レオナルドが描いたサライ


1496年にミラノ王国がイタリア戦争でフランスに敗れ崩壊。

レオナルドは、1502年にサライをつれてフィレンツェに戻る。ルネッサンス時代の最も冷酷無情不実な暴君、チェザーレボルジアの軍事技術者となる。

この頃に『モナリザ』を描き始めている。

レオナルドが描いたモナリザ


その後二度目のミラノで、フランス統治下のルイ12世に仕える。

1505年に、レオナルド( 53才 )はフランチェスコ メルツィ Francesco Melzi (14才) に出会う。

スフォルツァ家の軍事技師だったメルツィの父、ジェロラモ メルツィはルイ12世支配下のミラノの軍団長だった。メルツィは、ミラノ宮廷の名門家系出身で、礼儀作法と教養を持つ美少年だった。そしてすぐレオナルドお気に入りの弟子になり、レオナルドが亡くなるまで献身的に尽くし、生活を共にした。

Francesco Melzi


『聖アンナと聖母子』はこの頃のもの。

聖アンナと聖母子


モナリザは複製画が多く存在するが、

サライが描いたとされるものが以下ある、

サライが描いたモナリザの複製画
とてもうまいとは言い難い駄作。



ヌードヴァージョンのモナリザの複製画

これはレオナルドが描いたヌードヴァージョンのモナリザをサライが模写したもの。



サライ

これは、レオナルドの弟子が描いたサライの肖像画。

確かにモナリザに似ている。
私は『聖アンナと聖母子』の聖母子にも似ていると思う。
また、聖アンナはメルティではないかとも思える。この時期お気に入りの弟子二人
サライ、メルティはいつもレオナルドと共にいる。

モナリザには崇高な雰囲気があり、捉えどころのない微妙な風が吹いている。
それは、サライにはないレオナルドのものと思う。



メルティが描いたレオナルド


このメルティが描いたレオナルドの雰囲気をモナリザに被せてみてください。

サライが描いたヌードヴァージョンのモナリザの複製画はレオナルドが修正加筆を加えていると思う、サライに出せないレオナルドの雰囲気を感じるから。




これは晩年に描かれたレオナルドの素描だけれど、この雰囲気は誰にも描けない。
いつの時代になっても輝き続けるもの。


最晩年の『洗礼者ヨハネ』はまさにサライがモデル!

洗礼者ヨハネ



レオナルドの素描

この素描はレオナルドが描いた「人間の姿をした天使」、まさにサライでしょ。
しかも勃起した男性器がしっかり描かれている。この素描はサライとの関係を告白している。


サライが描いた洗礼者ヨハネ
サライが描いたものは洗礼者にならないでしょ、、、。


レオナルドの『洗礼者ヨハネ』にはサライの風貌にレオナルドの雰囲気が加わっている。


さて、今回問題になった「サルバトール ムンディ(救世主)」


私は、最初サライが描いたキリストにレオナルドが加筆修正を加えたものだと思う。

レオナルドは全ての人物に、真正面の構図を使わない。いつも微かな角度、つまりシナを造る。例えば、『レダと白鳥』、『聖アンナと聖母子』彼女たちは微かな傾きを持って存在している。『最後の晩餐』の人物像一人一人に角度を造っている。真正面はありえない。


レダと白鳥の素描


レダの頭部の素描


『モナリザ』も真正面ではない、微妙な傾きが崇高さや雅を創る。レオナルドにしか出来ない芸術。

おそらくサライが描いたサルバトール ムンディ(救世主)」を時々レオナルドが加筆修正し、
その痕跡が修復の権威 Dianne Dwyer Modestini によって発見されたということではないだろうか?


1516年レオナルドはフランソワ1世に招かれ、フランス アンボワーズに、サライ、メルツィと共に訪れる。フランスでの待遇で、メルツィは「巨匠レオナルドと暮らすイタリア紳士」、サライは「召使い」。これが原因かどうかは定かでないが、サライは1518年にミラノに戻り、レオナルド所有のワイン畑で芸術活動を続けたらしい。


1519年にレオナルドが死去した時、サライはこのワイン畑の半分を相続している、他に『モナリザ』と複数の絵画も相続したらしい。後に『モナリザ』と絵画はフランソワ1世の所有となる。
『モナリザ』をサライに遺贈したということは、「お前がいたから『モナリザ』を描くことが出来た、私の可愛いサライよ。」


レオナルドはメルツィ、サライをはじめ多くの親族に事細かく相続を遺言している。


メルツィはレオナルドが亡くなるまで一緒にいた唯一の弟子であり、最期をみとり、遺書の執行人かつ相続人だった。彼はレオナルドの金銭的遺産、絵画、手稿、道具、蔵書など多くを相続した。

そして、後にレオナルドの『絵画論』を編集した。これは一言では言えない大変な作業であったと思われる。


レオナルドの絶大な信頼を得ていたメルツィとの関係は、文学的想像になる。


『ラ ベル フェロニエール』


1517年制作とされる『ラ ベル フェロニエール』はレオナルド作としてルーヴル美術館に収蔵されているが、メルツィの作とする説もある。 彼の教養と美貌を感じもする。

この映画 『 The Lost Leonardo 』を通してあらためて Leonardo da Vinci を体験した


画像、情報の多くをWikipedia より得ました。


2024年11月28日木曜日

Cute God Cho MinGyu


 

Forestellaのリーダー Cho MinGyu、

彼のこのパフォーマンスを観てこの人の才能の大きさに驚愕してしまった。

見る度に涙を禁じ得ない。


これはスペインのRAPHAELの『BALADA TRISTE DE TROMPETA』のカバー曲である。



ピエロの悲哀を彼らなりに解釈したものである。

MinGyuの『BALADA TRISTE DE TROMPETA』は歌のうまさは勿論のこと、パフォーマンスの崇高さがあり、オリジナルより秀でていると思う。


メキシコの Sonus Imbellis の気持ちと同じです。



『BALADA TRISTE DE TROMPETA』のファンであるという、

UK から Waleska Herrera の reaction の intelligence はかなりのレベルです。

MinGyuの教養の高さがわかる、ピエロの悲哀を越えた崇高を説明していただいたと思います。彼らはスペイン系なんだね。言語の奥深さを芸術として語っていることも素晴らしい!字幕を英語から自動翻訳で日本語にしてみてください。




これは今年2024の彼のソロライブのplaylist 『MONO DRAMA』


MinGyuが彼のYoutubeでPlaylistを作ってくれたので、早速ダウンロードして、PCで聴き、CDにも焼き付けて運転中も聴いている。ありがとう。
いくら聴いても飽きない、今年の best one playlist 

MinGyuの歌のうまさ、パフォーマンスの芸術性、言語の幅広さ、スペイン語、ポルトガル語、フランス語、英語。私は彼の英語がとても好き、綺麗で優しい。




アルゼンチン Ema Arias の reaction 是非、自動翻訳→日本語で聴いてください。



2024年7月21日日曜日

EL DORADO

エルドラド EL DORADO





私の映画 best one は、『アバター』だけれど、それ以前は『エル ドラド』だった。

亡き夫と一緒に観に行った カルロス サウラ Carlos Saura 監督の『エル ドラド』。

銀座一丁目に、今は無くなった銀座セゾン劇場があった。 

夫が撮影したフィルムの現像に一丁目にある銀一によく行っていたので、セゾン劇場の演目をよく目にしていた。劇場には映画館テアトル西友もあり、そこでカルロス サウラ監督の『エル ドラド』を観た。


夫は、大航海時代のコンキスタドールの逸話の大ファンで、そんなことで『エルドラド』を観ることになった。その数年前にカルロス サウラ監督の1983年制作の『カルメン』を多分新宿で観たと思う。その時、会場は70%の観客が欧米人だったと記憶している。映画終了後彼らのスタンディングオベーション Standing ovation の大歓声は私の初体験ですごい衝撃だった、この映画も夫と観た。


EL DORADO のチラシ



映画館テアトル西友には、我々二人と、欧米人が二人いた。たった4人です。これはどういうことなのかと奇妙な思いで映画が始まった。
1987年制作の『エル ドラド』(1989年日本公開)。

16世紀スペイン人の黄金の国エルドラドを求めて彷徨い破滅する物語。

1560年ペルーより出航した男、アギーレと遠征隊、若き指揮官ペドロ デ ウルスア の見果てぬ夢物語。文献からアギーレもウルスアも実在の人物である、
参照『ロペ デ アギーレの表彰をめぐって』野谷文昭著、れにくさ3号 2012刊

監督、脚本 カルロス サウラ Carlos Saura 

アギーレをイタリアの俳優 オメロ・アントヌッティ Omero Antonutti

Omero Antonutti


ウルスアをフランスの俳優 ランベール ウィルソン Lambert Wilson

Lambert Wilson


アマゾン密林奥地への旅が進むにつれ、厳しい過酷な現実から、人が信じられなくなり、殺戮が繰り返される。アギーレは自分の娘をも殺すことにもなる。

パンフレット



ウルスア指揮官の夢破れ、船上でリュート(だと思う)を弾かせニヒリスティックなセリフを言う場面が印象的だけれど、セリフの内容が思い出せない。探検にニヒルはタブー。

しかし、私にとってはこの映画に漂うニヒリズムが魅力だった。

食料もなくなり、貴重な騎馬を屠殺する場面は、今も記憶に残っている、本当に馬を殺戮した場面は彼らの悲痛な想いとリンクして衝撃的だった。これは闘牛の歴史あるスペイン人だから可能だったと思う。この時代1980年代の映画界では騎馬を屠殺する場面が受け入れられなかったのかもしれない。


この夢物語が新大陸発見へと続く。今は進出で発見ではないと言われるが、コンキスタドールの情熱と信じられない努力と、未知への希望を思うと、発見と私は云う。

この映画はスペイン政府の協力を得て、莫大な製作費をかけて創られた。

今は、この映画の予告編もなく、データも乏しい。なぜこの映画が泡となってしまったのか理解できない。

フランス製ポスター




2024年4月20日土曜日

Forestella Again







私はアカペラのファンで、USAの ペンタトニックスPentatonix の大ファンなんだけど今はForestellaを毎日聴いている、CDに焼き付けて車の中でも、笑。

彼らは、いろんなジャンルをいとも簡単に(そのように見える)歌いこなす、パフォーマンスも役者よりうまいかも。

今回はソフトで、泣きの曲目をリストアップしてみました。

Reactionも、私の代わりに上手に説明してくださいます。

PITTA の歌声の素晴らしさ、天使の声、、、。ハーモーニーの完璧さ。世界中の人々を虜にしています。

Hijo de la Luna


最初聴いた時は、天使の美しい歌ぐらいの知識しかなかったのだけれど、調べてみると

すごく複雑な神話のような世界の歌だと知りました。

この動画の和訳から知ることができます。



Sarah Brightman の Hijo de la Luna はイマイチの感じ!



Forestella の Hijo de la Luna を上手に説明してくれるのがスペインの

Montse Bermudez さん、


声楽のプロなんだよね。


USA から Staying Off Topic


彼らの顔を見てください、可笑しいくらい私と同じ、笑。私、この人たちが好きなのです。Jamesが PITTA を美しい人と褒めたたえています。彼はお母さんから教養を受け継いでいるのです。


USA から RegenerationNationTV


人は、優しく美しいものに接すると幸せになれる、彼らの reaction はそう言っている。



さてさて、泣きの楽曲、Je Suis Malade


フランスのシャンソンからの引用だそうです、チョ ミンギュ のフランス語は素晴らしい、音からの感想ですが、Forestella はいろんな言語で歌います。英語、スペイン語、イタリア語、フランス語、どうもロシア語もあるようです。教養あるからね、そのうち日本語でもお願いします。

私は、MinGyu が Je Suis Malade を単独で歌うのをみてみたい。

チョ ミンギュ (趙旻珪) はとても教養があって、これも信じられないんだけど、8ヶ国語で映画アラジンの挿入歌を歌っている。 MinGyu Yes Yes !!



Forestella はリメイク(remake)してグループの質を高めているが、Je Suis Malade はフランスの若くして亡くなった(享年23歳)夭折の天才歌手 Gregory Lemarchal の Je Suis Malade に触発されたに違いない


彼の歌唱力は筆舌に尽くしがたい。彼の SOS を聴いたら言葉をなくすでしょう。


では、

UK から  Sir Hairless

この人もプロで、Ema と同じように、ピアノでキーを教えてくれます。すごく理論的、でも優しい情緒を持っているのよね。



またもや登場、笑

Staying off Topic


何をか言わんや、です


USA から  killermcknight 


二人とも、言葉を失ってしまって


最後に
UK  Sir Hairless White Night の素晴らしい解説を up しない訳にはいきません





今、人々の心の襞に入り込んでいる、Forestella 


2024年4月13日土曜日

PITTA

 



Kang Hyung-ho

カン ヒョンホ (姜亨昊)


『the Phantom of the opera 』を一体何度見るのだろうか?

何回見ても同じように感動通り越してしまう。笑



youtubeで reaction ものを見てると時間の過ぎるのを忘れる、笑。

リクエストに答えて、送られてきたURLをクリックして感想を、分析をして共有する。
Internet 時代特有のコミュニケーション形態。my favorite tool


私の一番好きな Reaction
アルゼンチンから Ema Arias

彼はボイスコーチらしく、かなり専門的に分析してくれます。早口のスペイン語は慣れると心地良くなります、笑。