三島由紀夫と楯の会のメンバー |
1985年、日本とアメリカ合衆国の合作で作られた三島由紀夫に関する映画である。残念なことに、諸般の事情で日本での公開はない、DVD化もされていない。
監督は『タクシードライバー』の脚本家ポール シュレイダー、製作総指揮にはプランシス フォード コッポラ、ジョージ ルーカスといった錚々たるメンバー。
多くの人がそうであるのかどうか分からないが、私の場合、彼の小説を読む前と後で、三島に対する理解が全く違ってしまった。ロココ調の豪邸やボディビルやら卑猥なマゾヒスティックな写真からくる軽蔑から、読後の芸術家三島由紀夫に対する感動。
さて、米国人は三島をどう理解するのか?また、私は時を経てどのように三島を受け入れられるのか?
たまたま、YouTubeで『Mishima』全編(120分)を観る機会に出くわした。画像は悪いが全て観ることができた。現在は観ることができないようです。
タイトルの通り、4つの章に別れている。
この4章と三島の生い立ちから割腹自殺までを巧みにシンクロさせ、ナレーションを『ジョーズ』の俳優ロイ シャイダーが担当している。(この部分は英語)
第4章以外は舞台装置風の美術装置で、石岡瑛子が担当しているが、陳腐さが際立って映画として受け入れられなくて困った。映画はあくまで現実の再現であるという私の映画哲学に反した。
監督は、第2章を『禁色』を使いたかったのが遺族側の承諾が得られず、『鏡子の家』になったらしい。確かに美貌のマゾヒスト舟木収では不足だと思う。三島はマゾヒストであり、ナルシストであり、ホモセクシャル、いや彼は子供ももうけているから、今で言うところのバイセクシャルなのだから『禁色』を使えなかったのは残念というほかない。
最近、蜷川実花監督による『人間失格 太宰治と3人の女たち』を観たが、女を巻き込んで入水自殺した太宰治と、男を巻き込んで割腹自殺した三島を同じ線状に見てしまうのは間違いだろうか? その映画の中で、三島由紀夫が登場して太宰治を痛烈に批判していた。太宰治の返答が、「だって君は僕が好きだからここにいるんじゃないか」だった。
今回映画を観ていて、楯の会の制服はかなり美しいと感じた。兵役も免除になった彼が、個人の軍隊だといって楯の会を結成したことに違和感を覚えるが、美しい制服に憧れて楯の会を結成したと考えても彼のダンディズムに由来するとみる事もできる。
それにしても計画的な割腹自殺の衝撃は何の判断をも拒絶している。
色々な不都合を抱えても芸術家は芸術至上主義で生きながらえられる、としか言えない。
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