2016年7月6日水曜日

完全なるチェックメイト Pawn Sacrifice

『完全なるチェックメイト』原題は Pawn Sacrifice  

 (pawnとはチェスの一番価値の低い駒のこと)  2015年日本公開





冷戦下の1972年にチェス世界王者決定戦がアイスランドレイキャヴィックで行われた。アメリカ人の挑戦者、ボビー・フィッシャーがソ連の世界チャンピオン、ボリス・スパスキーに挑むという構図であった。そのため、この試合は東西冷戦における代理戦争とみなされた。


原題『 Pawn Sacrifice』には、ソ連と米国にとってチェスプレイヤーは相手にとられてもいいpawnのような存在でしかなかった、という意味がこめられているらしい。 
それにしては映画はさながら盤上の戦争であった。   私が観たところでは、フィシャーとスパスキーのチェスを通した頭脳戦としか思えなかった。


残された写真から想像すると、フィシャーはエキセントリックな勝負師で、スパスキーは世慣れた冷静な紳士という感じ。(絵画でいえば、フィシャーがゴッホで、スパスキーがゴーギャンか?)



フィッシャー



スパスキー



ところが、チェスに関しては、常人の常識を超えた世界に二人が難なく入り込み、お互いが武器のかわりに駒を駆使して戦っている。 こんなにもチェスは戦いなんですか?
この二人の盤上の戦いに映画の全てが凝縮されている、と思った。



フィシャー役のトビー・マグワイア



スパスキー 役のリーヴ・シュレイバー



かすかな音を気にして、フィシャーが静かな卓球室を会場にしろとか、カメラは見えないところに一台だけだとか、スパスキーが自分の座る椅子に音が気になると入念にひっくり返す始末。似た者同士ですよ、この二人。



対局一局目、スパスキーに完敗するフィシャー


フィシャー役のトビー・マグワイアはかなりの熱の入れようで製作にも関わっている。天才的独断と偏見のかたまりをこれでもかこれでもかと演じられる演技力に脱帽!

スパスキー 役のリーヴ・シュレイバーも大人の王者の貫禄で素晴らしかった。私には分からないロシア語もリアリティがあった。笑


Bobby Fischer/ボビー・フィッシャー
( 1943年3月9日-2008年1月17日 )
アメリカ、シカゴ生まれ。チェスの世界チャンピオンになるも、あえてタイトルを放棄したり、事実上の国家反逆罪で国を追われ、長年にわたり世界を放浪するなど、その謎めいた行動をとり、数奇な人生を送った人物としても有名。2000年代初頭には日本の蒲田でも生活していた。晩年はスパスキーとの世界戦をおこなったレイキャビクで余生を送る。2008年、奇しくもチェス盤の目の数と同じ64歳で死去。      『完全なるチェックメイト』official siteより引用



雑談、フィシャーはネクタイに関して奇妙な趣味の持ち主だったらしく、ケバケバしいネクタイをしているけど、これって日本人によくある趣味だよね。笑






とにかくこんな破天荒で、わがままで、完璧主義を通す天才がいたなんて、ブラボー!



2016年3月30日水曜日

ニコール キッドマン はどこに?



映画のポスターを見て、ニコールキッドマンは誰を演じてるのかどうしてもわからず、それを確認するために観た映画

『めぐりあう時間たち』(原題 The Hours)。 
2003年日本公開。

監督スティーブン ダルドリー Stephen David Daldry 主演のヴァージニア・ウルフ Virginia Woolf にニコール・キッドマン Nicole Mary Kidman、小説『ダロウェイ夫人』を愛読する主婦ローラ・ブラウンにジュリアン・ムーア Julianne Moore、編集者のクラリッサ・ヴォーンにメリル・ストリープ Meryl Streep。

各々1923年の英国リッチモンド、1951年のロサンゼルス、2001年のNYが舞台。3人の登場人物はウルフの小説『ダロウェイ夫人』を軸に深い関係で結ばれている。終盤にその関係が明かされる。これはヴァージニア・ウルフ(1882年 - 1941年)という複雑な芸術家のこころの闇に引き込まれる映画である。

右 ウルフ


ニコール演ずるウルフ
確かに似ている


ウルフの父、レズリー・スティーヴン(1832年 - 1904年)は歴史家、伝記作家、批評家、編集者、そして登山家であり『英国人名辞典』Dictionary of National Biography の編纂者として知られる。

母親のジュリア (1846年 - 1895年) は美人の誉れ高く、ラファエル前派のモデルもつとめた。文学に造詣が深く、豊かな人脈を知己に持つ両親のもとでウルフは育った。


母ジュリア


とてもエキサイトなのが、両親亡き後、姉のヴァネッサとブルームズベリー地区にブルームズベリーグループをつくり、当時としてはかなり進歩的な思想によるサロンを非公式に持っていたこと。そこで夫となるレナード・ウルフとも知り合う、と同時にグループに属する女性とも関係をもつ。つまりバイセクシャルである。この組織では同性愛は公認されていた。第二次世界大戦当時も英国では同性愛は罰せられていたことを考えると如何に進歩的かがわかる。

とにかく調べれば調べる程複雑な人物で、始末に負えない。そんなニヒリスティック(nihilistic)で複雑なヴァージニア・ウルフのこころの呪縛にかかってしまう、暗い映画なのだ。だって登場人物がだれも笑わないんだもの。

ローラが夫の誕生祝いにつくるケーキがターコイズブルーのクリームに紺色のフリル、黄色いバラ、このケーキがこの映画のすべてを象徴している。ケーキは白い生クリームに赤い苺が幸せの象徴じゃない?


ターコイズブルーのケーキ


監督はウルフの気質をよく理解して丁寧に彼女をトレースしていく。三つの年代をうまくまとめ上げる手腕は大したもの。この映画に関係している、監督もバイセクシャル、原作のマイケル・カニンガム(Michael Cunningham)もゲイ。映画でも不協和音に同性愛が使われている。


ウルフとヴァネッサ


ローラとキティ


クラリッサとサリー


クラリッサの元恋人に エド ハリス Ed Harris がエイズに冒された詩人小説家を演じている。私は2000年の『スターリングラード』のドイツのスナイパー、ケーニッヒ少佐の演技が忘れられない、彼はしゃべれない方がいい演技ができると思うけど。

それにしても、私は最後までウルフがニコール・キッドマンと思えなかった。彼女は特殊メイクの鼻をつけて最後までヴァージニア・ウルフを演じ私を騙し通した。

この演技で2002年アカデミー主演女優賞を受賞。またベルリン国際映画祭ではジュリアン・ムーア、メリル・ストリープを含む3人が銀熊賞を共同受賞した。
『めぐりあう時間たち』はゴールデングローブ賞 作品賞を受賞。





監督とニコール


美しいニコール





ウルフさん!私はあなたが軽蔑するであろうヒューマニズムをこよなく愛する者です

   

2016年2月15日月曜日

複雑に存在する Gender Identity




男が女を愛し、女が男を愛する。一般的な事実は全ての真実ではない。昨今、有名人はたまた一般人も堂々とカミングアウトして、自らの gender identity を公表することが多くなった。男が男を愛したり、女が女を愛する。男の躯を認められない男、女の躯を拒否する女。種々雑多な gender identity が存在する現代、複雑な社会構造を認めざるを得ない現代社会。

最近観た映画は複雑に存在する gender identity がモチーフになっていた。


2006年日本公開のコメディ映画『キンキーブーツ Kinky Boots』
伝統ある紳士靴メーカー プライス社 の跡取りチャーリーと、ドラァグ・クイーン(drag queen、drugと間違えないで)のローラが共に経営を立て直そうとする物語。




 ローラには、2014年アカデミー賞作品賞、脚本賞を受賞した『それでも夜は明ける』に主演した 
キウェテル・イジョフォー Chiwetel Ejiofor 

Chiwetel Ejiofor

 同じ人物とは思えないないほどどちらも見事に演じきっている。私的には、ドラァグクイーンのローラが好き!笑 このマッチョな風貌で異性装のローラ、演技力以外のなにものでもないでしょ。
 真っ赤な厚ぼったい唇でセクシャルに唄い、立てそうにもない恐ろしく尖った真っ赤なハイヒールで舞台を縦横無尽にダンスするローラ。物語の展開は単純でヒューマニズムに満ちたもの、何よりイジョフォー扮するローラの魅力的なドラァグクイーンの存在がこの映画の魅力の全てと云っても過言でない。特に舞台上のローラが。私は『ロッキーホラーショー』より『キンキーブーツ』の方が好き。



 2013年にはこの映画のミュージカル化作品である「キンキーブーツ」がブロードウェイでも上演されたらしい。

ブロードウェイミュージカルから


ポスターにもあるようにこの映画の主役は赤いハイヒールブーツ!



『わたしはロランス』
『Laurence Anyways(原題)』
カナダの新鋭グザヴィエ・ドラン監督による2013年日本公開のラブストリー



ロランス役を フランスの俳優メルヴィル・プポーが演ずる。坊主頭で赤いルージュにイヤリング、ハイヒールのインパクトはドキドキ、ハラハラ。いや~映画って面白いですね!笑

ロランスのカミングアウト
彼の革命
   


ロランスはトランスジェンダーなんだけど、恋人は女性なのよね。
ロランスの恋人フレッドを、ドラン監督の処女作『マイ・マザー/青春の傷口』にも出演したスザンヌ・クレマンが演じ、2012年カンヌ国際映画祭ある視点部門で最優秀女優賞を受賞した。
ドラン監督の選ぶ女性は、女性的魅力に欠けるのよね、どっちかと云うと母親的女性。彼の映画を観ると母親的女性しか感じない。それもそうでしょうゲイをカミングアウトしているから女性に対して異性感情を持ち得ない。彼の映画の面白さもそんな資質によると思う。以下の監督のコメントにも現れている。
「どうやら僕は自作の中で、自分の気持ちを明かさずにはいられない性質なんだ。それに、100%虚構だなんていう映画が実際に存在するとは思えないね。」



また彼のビジュアルセンスはハイグレード。どの映画でも色彩、空間処理、人物の仕草一つ一つにカメラアイのセンスの良さを感じる。質の高い絵画を観ているような。
かっこいいよね。

美しいドラン監督


『私が、生きる肌』『The Skin I Live in (原題)』
スペインの奇才、ペドロ・アルモドバル監督が、ティエリ・ジョンケの小説「蜘蛛の微笑」を原作に放つサスペンス。2012年日本公開 各国の映画祭で映画賞を受賞している。



世界的な形成外科医ロベル・レガルアントニオ・バンデラス Antonio Banderasは、交通事故で全身火傷を負い、非業の死を遂げた妻ガルを救えたかもしれない「完璧な肌」を作り出すことに執念を燃やし、軟禁されているベラエレナ・アナヤ Elena Anayaを実験台にして自らの開発した人工皮膚を使って彼女を亡き妻の姿に作り変えていく。











これはゴヤの裸のマハだな

何とも奇抜でショッキングなストーリーで映画を観た夜はよく眠れなかった。

人を殺さないで殺すとは、こんなことか? とにかく悲劇のベラ(地元の仕立て屋の息子ビセンテ)はどう生きるの? ビセンテ演じるヤン・コルネット(Jan Cornet)は、第26回ゴヤ賞(スペイン・アカデミー賞)で新人男優賞を受賞。

しかし、この映画のキーポイントはサスペンス復讐劇でなく、男と女の精神的肉体的genderにある。男を女に変える異常な欲望にあると思う。
この映画の奇抜さ異常さは、ピカソ、ダリ、アギーレを生んだスペインにある。

映画はスリリングで複雑怪奇ヒューマニズムで美しく醜く、私の映画狂は終わらない。


2015年8月27日木曜日

AVATAR アバター



 私は一度観た映画は、二度観ることはないのだけれど、2009年公開の『アバター』を2015年の現在観て、あの時の高ぶりを味わえるのか試してみたくなった。

 構想14年、制作に4年を費やしただけあり、脚本が完璧だと思う。
 22世紀、地球は環境破壊で緑が皆無。地球のエネルギー確保のため衛星パンドラに進出する。確かディズニー映画『ウォーリー』でも人間は地球上の緑を全て無くし、ゴミだらけの地球を捨てて、宇宙の別の星に移り、歩けない腹ぼての人間に成り果てていたっけ。


 パンドラにはナヴィという先住民族が住んでいる。ナヴィは3mの身長、しっぽのある人種で、鉄より軽くて強い炭素繊維の体を有し、尾に生体電流を持つ超人?である。顔つきは猛獣にそっくり! 








 ナヴィの住む村には魂の木があり、その下に希少鉱物アンオブタニウムの莫大な鉱床が眠っている。
 RDA社(資源開発公社)は地球人とナヴィそれぞれのDNAを掛け合わせた人造生命体 AVATARアバターを作り、アンオブタニウムの採掘に乗り出す。

 ナヴィ研究の権威でアバター計画の責任者であるグレイス・オガースティン博士の下で操作員としての任務に就くこととなった傷痍軍人ジェイクを サム・ワーシントン 。ジェイクを愛するナヴィ族長の娘をネイティリ ゾーイ・サルダナ 演ずる。 殺し屋カトレアを演じた『コロンビアーナ』の彼女はネイティリに通じるものがある。









 

 ジェイクがリンクしてアバターに変身する場面はまさに現代である。このリンクするというのがこの映画のミソである。現代人はいつもリンクだらけ。ゲームでリンクすると、別の超人になれることはあなたも知っているでしょ!笑


 3D映像による画面は、今当たり前だけれど、ジェームズ・キャメロンの緻密でリアリティ追求の姿勢は、パンドラの環境、生物、植物に完璧に反映されている。目を見張る緊張感、驚き、納得。翼竜イクランに乗り縦横無尽に飛行する場面は何度見ても手に汗にぎり興奮する。









 言語ナヴィ語に関しても然り。言語学者に依頼した架空言語は、2010年4月にナヴィ語のファンによってwebsite Learn Navi が誕生するまでに成長。

 2006年12月に映画製作を先送りした理由を作品を作り上げるのに必要なテクノロジーが進行するのを待っているためと説明したのは、監督の用意周到さと自信のほどを感ずる。



魂の木の精エイワと交信するジェイク



 最後の場面、ジェイクがリンクから覚め、ネイティリを見て ” I see you." ネイティリがジェイクを抱きかかえて ” I see you." と云うところは私の大好きなところ。

 この映画はSFであり、ファンタジーであり、アクションであり、痛烈な文明批判であり、永遠のラブストーリーである。











全世界歴代映画興行収入、堂々のトップ1 
この記録はおそらく破られることはないと思う。



2015年3月15日日曜日

ピエール・ボナール Pierre Bonnard


Pierre Bonnard
1867-1947


 印象主義の生き残りとか、先の大戦を経てアメリカ抽象表現主義の指標であるとかの難しい美術批評はさて置き、あくまでも個人的な好みとしてボナールを取り上げてみたい。


初期の頃のグラフィックデザインの仕事には、ボナールの晦渋でとらえどころの無い魅力は発揮されていない。



ボナールとマルト


1924年にカンヌ近郊のル・カネの別荘に移ってからが私の好きなボナールである。パリを離れて北仏、南仏を往復の10数年。それ以後のほとばしる才能の開花。
死ぬまで進化する絵を描き続ける作家は多くはない。そんなボナールに最大限の賛辞を送りたい。「あなたは偉大です。」



左にマルト


マルト


けだるいアンニュイで、人を縛りつけない優柔不断の快感と欲望感。ハッキリしない態度は多角的に判断を強いられ、「こうなのかな?」とプッシュしたくなる。

しかし、絵画に対する果敢な挑戦。
テーブルの上の果物やコーヒーポットは背景の壁紙の模様と溶け合い、調和をもって四角いカンヴァスの中でシンクロナイズする。



モンシャティと右端にマルト
 
ボナールは1921年にルネ モンシャティを訪ね、ローマに滞在。 1925年8月にマルトと結婚後、9月にモンシャティは自殺する。





セザンヌがあくまでリンゴにこだわって、丸い赤いリンゴを描いたのとは違う。絵画の遠近法を無視して、前景と背後の混ざり合いで画面を構成するには縛りつけない優柔不断が必要である。その優柔不断な絵をピカソに罵られたのは有名なエピソード。ピカソは曖昧を罪悪と思うから。






ボナールには無理のない自然体の日常がある。モチーフになるものは、テーブルの上の静物、インテリア、部屋の中の日常。しかしアンチミストと呼ぶにはあまりにも複雑すぎる。彼の生来持っていた環境からくる豪奢で優雅な体質も魅力の一つである。だからボナールの絵は熱狂的にアメリカ社会で受け入れられたと思われる。自分のルーツであるヨーロッパへの憧れとして。

 ボナールが26歳の時、マルトと出会う。二人は、それから、32年後に結婚するが、ボナールは、結婚するまで彼女の本名を知らなかったらしい

ボナールは写真で身近かな人を随分撮っている。勿論マルトも。現在でも写真集が出版されているらしい。おそらくカメラが発明された時期と重なり、珍しい写真機をおもしろがって使ったと思われる。多分写真を使って絵を構成したに違いない。
そう考えると、写真を使って絵を描いた最初の一人となるだろう。現代では写真を使うのが当たり前の世の中だけれど。




      


     


ボナールの絵の中に登場するモデルと思われるマルトの写真(ボナール撮影)



ボナールとマルト ル・カネの別荘









そんなマルトの写真からボナールの絵を逆照射するのも楽しいもの。





晩年の自画像



Bonnard


★各絵のキャプションは説明のみ。