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Pierre Bonnard
1867-1947
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印象主義の生き残りとか、先の大戦を経てアメリカ抽象表現主義の指標であるとかの難しい美術批評はさて置き、あくまでも個人的な好みとしてボナールを取り上げてみたい。
初期の頃のグラフィックデザインの仕事には、ボナールの晦渋でとらえどころの無い魅力は発揮されていない。
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ボナールとマルト |
1924年にカンヌ近郊のル・カネの別荘に移ってからが私の好きなボナールである。パリを離れて北仏、南仏を往復の10数年。それ以後のほとばしる才能の開花。
死ぬまで進化する絵を描き続ける作家は多くはない。そんなボナールに最大限の賛辞を送りたい。「あなたは偉大です。」
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左にマルト |
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マルト |
けだるいアンニュイで、人を縛りつけない優柔不断の快感と欲望感。ハッキリしない態度は多角的に判断を強いられ、「こうなのかな?」とプッシュしたくなる。
しかし、絵画に対する果敢な挑戦。
テーブルの上の果物やコーヒーポットは背景の壁紙の模様と溶け合い、調和をもって四角いカンヴァスの中でシンクロナイズする。
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モンシャティと右端にマルト |
ボナールは1921年にルネ モンシャティを訪ね、ローマに滞在。 1925年8月にマルトと結婚後、9月にモンシャティは自殺する。
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セザンヌがあくまでリンゴにこだわって、丸い赤いリンゴを描いたのとは違う。絵画の遠近法を無視して、前景と背後の混ざり合いで画面を構成するには縛りつけない優柔不断が必要である。その優柔不断な絵をピカソに罵られたのは有名なエピソード。ピカソは曖昧を罪悪と思うから。
ボナールには無理のない自然体の日常がある。モチーフになるものは、テーブルの上の静物、インテリア、部屋の中の日常。しかしアンチミストと呼ぶにはあまりにも複雑すぎる。彼の生来持っていた環境からくる豪奢で優雅な体質も魅力の一つである。だからボナールの絵は熱狂的にアメリカ社会で受け入れられたと思われる。自分のルーツであるヨーロッパへの憧れとして。
ボナールが26歳の時、マルトと出会う。二人は、それから、32年後に結婚するが、ボナールは、結婚するまで彼女の本名を知らなかったらしい。
ボナールは写真で身近かな人を随分撮っている。勿論マルトも。現在でも写真集が出版されているらしい。おそらくカメラが発明された時期と重なり、珍しい写真機をおもしろがって使ったと思われる。多分写真を使って絵を構成したに違いない。
そう考えると、写真を使って絵を描いた最初の一人となるだろう。現代では写真を使うのが当たり前の世の中だけれど。



ボナールの絵の中に登場するモデルと思われるマルトの写真(ボナール撮影)
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ボナールとマルト ル・カネの別荘 |
そんなマルトの写真からボナールの絵を逆照射するのも楽しいもの。
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晩年の自画像 |
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Bonnard |
★各絵のキャプションは説明のみ。
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